育児書のない育児

正期産で生まれたにもかかわらず原因不明の先天性網膜剥離で片目が見えていなかった長女と、3ヶ月の早産で超未熟児の次女のことについて記録して行きたいと思います

長女の障がいと病気が判明するまで 続き

このタイミングでのMRIは、小児がんによる腫瘍なのか、それとも良性の腫瘍なのかを見極めるためのものでした。


本来であれば、生検(腫瘍を採取して検査)することが一番確実な方法ということでしたが、あまりに小さすぎて生検はむしろ命の危険があるといわれたことはよく覚えています。

なぜなら、このときは片目が見えないことの告知直後で、たとえ亡くなってしまったとしても、この先子ども自身が辛い思いをして生きていくくらいなら、そちらのほうがいいのではないかと、今思えばとんでもない思いがよぎってしまったくらいの精神状態だったからです。


MRIは結果として、二回とることになりました。1度目は造影剤なしでとったものの、よく見えず、もう一度造影剤を投与した上で撮影することになったためです。


乳幼児の場合ら動いてしまわないよう鎮静剤の投与などもあり、とにかくたくさんの書類にサインをして、授乳のタイミングや寝かせるタイミングなど、いろいろ気を遣ったような記憶があります。


約30年生きてきて、自分は一度もMRIをとったことのないのに、この子はわずか生後1ヶ月でMRIをとることになるのか・・としんみりした気持ちで、撮影までの時間、並んでいました。


結果は1、2週間くらい後だったと思います。形成外科の先生から説明がありました。


病名は動静脈奇形。


異常血管が発達し、その影響で、右眼の網膜も剥離し、顔の半分ほどを覆っているとのことでした。完治させるには、切除が一般的だが、大きすぎて切除は不可能ということでした。


小児科の先生から悪性の可能性は低いのではないか、と言われていたため、小児がんの心配はそれほどしていなかったのですが、いくつか予想していたもののうち、最も治療が難しいとされる病名だったので、涙をこらえながら話を聞いていました。

長女の障がいと病気が判明するまで

右顔面の膨らみについては、様子見となったことに加え、私自身は全然気にならなかったことから、このときはごく普通の新生児を抱えた眠いけれど、幸せな生活でした。


違和感を持ったのは、三週間ほど経ったある日、娘の授乳中に瞳の輝きが左右で違っていたことでした。右目の黒目が濁っているように見えたのです。

ただ、眼球の大きさに左右差があったわけでもなく、本当によく見なければわからないくらいの違いでした。一ヶ月検診時、産科で相談した際も、少し充血しているからと、点眼薬を処方されたくらい気づきにくいものでしたが、母親の勘というのか、一刻も早く眼科に連れて行かなければと、焦りを覚えるようになったのです。


しかし、里帰り先の眼科で眼底検査をしてもらったもののはっきりとしたことがわからず、紹介されたのは成育医療研究センターでした。子どもが生まれたばかりの私でも耳にしたことがあるような小児病院の総本山に紹介状を出されて、受診までの一週間がこれまで生きてきた中で一番長く感じられたのを覚えています。


また、このとき並行して、右顔面の腫れについての検査も進めていました。こちらは里帰りした産科に出してもらった紹介状を片手に、順天堂医院を受診。小児科経由で、MRIの予約を入れることとなりました。


先に受診したのは、成育医療研究センター。生後1ヶ月ということもあって、タクシーを利用して向かいました。お子さまに眼疾患を持っている方の多くがご存知であろう先生に診て頂きました。

そして言われたのが、左目は正眼だが、右目は光覚もない、手術はできるが、光を取り戻せるかどうかの可能性しかないうえ、萎縮を進めるだけだろうから、オススメしないというものでした。

頭をハンマーで殴られるというか、帰りのタクシーではただぼーっとして、一緒についてきた母親がなぜかタクシーの運転手と会話し続けていたことだけが印象に残っています。


なんで自分の子に限って、なんで、なんで、なんでを何回繰り返したかわかりません。地元の眼科を受診してからずっと眠れない日々が続き、寝不足はピークに達していましたが、当然この日も眠れるわけがなく、一生懸命スマホでいろんな情報を集めながら、絶望の淵に立っていました。


ただ、その翌日、受診した順天堂医院の小児眼科の先生に救われました。成育の先生は良くも悪くも、重症のお子さんばかり見られていることもあって、片目が見えれば何の問題もないと、あっけらかんと言い放つような感じがありました。(これは今になればわからなくもないのですが)

一方で、順天堂の先生はもう少し親身に話を聞いてくださり、不安を一つずつ取り除いていくことができました。


また、ネットで同じようなお子さんを持つ方と交流することで、気持ちの浮き沈みは本当に激しかったですが、一歩ずつ先に進んでいけたように思います。


問題は、右頬のふくらみでした。

長くなったので、次に続きます。

長女の出産

まずは長女の話から振り返っていきたいと思います。


長女については、妊娠中の経過は全く問題ありませんでした。貧血気味だからと言われて、鉄剤の処方を受けた程度。夫と二人だったので、旅行もいっぱいしました。


第一子の出産ということで、実家に里帰りして、かかったのは個人病院の産科。初産は遅くなりやすいなんて言いますが、40週過ぎても子宮口は全然開いていない、赤ちゃんも下がってない、場合によっては促進剤を使っての入院になるなんてことも言われていました。


しかし、入院と言われた日の二、三日前に前駆陣痛らしきものがあり、その翌日の20時過ぎから、ついに本陣痛がやってきました。明け方、病院に着いた際には、子宮口が3センチ開いており、個室にて陣痛間隔が短くなるのを待っているうちに破水。気づけば、分娩室に移動し、子宮口は前回大となっていました。


が、いきんでもいきんでも出てきません。結局、胎児心拍が低下してきたという理由で、緊急帝王切開となり、長女が誕生したのでした。


この時点では何も聞かされなかったし、そもそも出産当日は我が子に会えず、医師から気になることを聞かされたのは翌日になってから。


長女の顔の右側面に膨らみがあるというのです。


念のため、形成外科への紹介状を書くと言われましたが、一週間後の退院時には、分娩中、産道に顔をぶつけたことが原因かもしれないからといわれ、様子をみることに。


これが実は難病であることがわかるまでには、さらに2ヶ月の時間を要するのでした。

ブログを書こうと思った理由

ブログ、TwitterFacebookなどなど、いろんなツールがある昨今ですが、私はこれまで、一般に公開する形で、日記を書いたりすることはしてきませんでした。


特に、2013年に生まれた長女は、動静脈奇形の影響による先天性網膜剥離で片目が見えておらず、当時は一生懸命いろんな情報を調べて、会員制SNS経由で情報交換させてもらったりしました。ただ、それでもわざわざ公開形式でブログを書いたりということはしなかったのです。どこか長女を晒し者にするようで、嫌だという気持ちがあったのかもしれません。


しかし、一人目のショックも薄れた頃、二人目を妊娠し、順調な経過で過ごしていたにもかかわらず、2017年初冬、今度はまさかの3ヶ月(27w0d)での早産となりました。


私も夫はもちろん親戚含め健康体ばかりで、テレビや小説で読む障がいを持った人や病気のストーリーは、どこか遠い自分とは関係のない世界にいました。

そんな私に、青天の霹靂が二度も続き、これは記録を残したほうがいいのだろうかと思い始め、ブログを開設することにしました。


娘たちが元気で幸せな日々を送れることを祈って、このブログを書き綴っていこうと思います。


--追記--

ちなみに、この記事を書いていたのは、次女が生まれてすぐのことですが、なんやかんや結局、下書きに入れて、公開しないままになっていました。

ただ、長女の出産から四年、次女の出産から一年弱が経ち、正直、自分と同じような経験のある人って限られていて、不安だったり、喜びだったり、そういうことを共有できる場がないことを感じていて、だとすれば、一体どれくらいの方の目に触れることになるかわかりませんが、もしも今、病気や障がいを持つ子どもを授かって、悲観にくれているという方への参考になればという思いもあり、公開することにしました。